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今の日本は絶賛、少子化です。
国としては将来の労働者と納税者の確保として人口増加をさせたい。
だから近頃では子連れ優遇策をあれこれしていますよね。
それにより一部の子連れが横柄になっていたり、年々躾をせず甘やかし傾向にあるのも手伝って子供が嫌いだという人も増加傾向にあります。しかし、「子供嫌い」は非難されやすい傾向にあるのもまた、事実。
ここに来たあなたが、どのような経緯でこのページを訪れたのかは解りませんが、ダメな人の一面として「子供嫌い」が加わっている場合があるので記載をしています。「子供嫌いだからこのページに来た」「子供好きだけどこのページに来た」「何となく来た」様々、あると思いますがせっかく、来たのですからご覧ください。
子供は絶対に皆が愛すべき存在だ!という信念を持っている人も居るかも知れませんが、全員が同一のものを愛するとか好ましいと思うのは無理です。個人差はあるので何を好ましく思い、何を嫌うかは各々違う。これはもう、仕方がありません。
ゴキブリってキモいし見るのも嫌!
なんて良く聞きますし、何ら抵抗なく受け入れてもらえる意見。
けれど「子供って嫌いだから見たくない!」という意見には、嫌な感情を持つ人も居るはずです。人は自分が好ましいと思うものに対し否定的な意見を述べられて良い気分はしないもの。
けれど、ゴキブリに限らず特定の存在を嫌う人は必ず居ます。
犬や猫は比較的、好ましいとする人が多いものの全員ではありません。
鳥類は意外と苦手とか嫌いと言う人がいる反面、人気の動物でもあります。
近頃、横柄な高齢者も増えたせいか老人が嫌い、という人も居るでしょうね。
赤ちゃんを見て「かわいい」と思う人もいる反面、どうしても気持ち悪いと思ってしまう人も居るのです。潔癖症気味の人だとヨダレが気持ち悪いとか、ペタペタした肌触りや手首のくびれたところが臭う等、気になる箇所があるものですし泣き声がイライラしてどうしても無理!という人も。
しかし、別にこういった人が居ても当たり前なのです。
顔の好み1つにしても、様々あります。
薄い顔が好きな人も濃い顔が好きな人も居て、どちらが正しい間違いではありませんよね。
顔の好みについて深く考えていくと結局のところ、明確な理由は存在しません。
薄い顔が好きだから…一重で切れ長の目が好きだから…ではなぜ、一重で切れ長の目が好きなのでしょうか。自分が濃い顔だから薄い顔が好き、と言ってもそれは明確な理由になってるとは言えません。濃い顔の人が全員、薄い顔に魅かれるわけでもないです。
好き嫌いとは単に嗜好であり理屈は関係ないのです。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
それだけの事なので存在する何かが嫌いであっても、それは普通の事なのです。
子供が嫌い、と言えば一部の子供好きは決まった言葉を言う場合が多いです。
昔はあなたも子供だったのに嫌うなんておかしい。
子供が嫌いというのは大人になりきれていない証拠。
精神が未熟だから子供という未熟な存在が許容できない。
親から愛されず育ってきたから愛情がよく解っていない。
心が狭い、優しくない…等
しかし、多くの子供嫌いに対しこれは妥当な意見ではありません。
昔、子供であっても今は違うのであれば嫌っても仕方ないです。
喫煙者が禁煙に成功後、喫煙者やタバコの煙が嫌いになったという人も居ますし、以前がどうであれ「今、嫌いなものは嫌い」なのです。今現在の感情に対し、昔は~と言われても「昔は昔、今は今」なのです。
何かの好き嫌いに対し、それが大人になった証拠であるとか精神が未熟であるとかは関係無いです。
虫に関しては子供時代、平気で掴んでいたのに大人になって掴めなくなった人も多いもの。これが大人になって出来ない事が増えて退化したと感じますか?様々な知識や経験を踏まえ、以前は好きだったものが嫌いになったり。嫌いなものが好きになったりはある事。成熟したら必ずとあるものを好きになる、なんてものは存在しません。
親からは普通に育てられ、愛情ももらったけど子供は嫌い。そういう人も当然、居ます。
愛情不足で子供の好き嫌いが決まる、というのも全否定は出来ませんし、虐待を受けて育つと大人になって虐待をしてしまうのも実際にありますがごく普通に育てられても子供が嫌いな人も居ますから個人差の枠内です。
心を広く持てる相手や場面、心がどうしても狭くなってしまう相手や場面。これも様々、あります。
犬が好きな人は、犬に対して心が広いでしょう。反面、犬が嫌いな人は犬に対して許容できる範囲が非常に狭くなるもの。つまり、好ましいと思うものに対して心が広く優しいのは当たり前。同時に嫌いなものに対して心が狭く優しくなれないのも当たり前なのです。
子供が嫌いという意見は非難されがちですが、好き嫌いに対して文句を言われても困ります。
例えば、顔の好みに対して文句を言われても困りますよね。同様にどうして子供が嫌いなの!?と文句を言われても困ります。「嫌いなものは嫌い」であり細かく言えば人それぞれ、理由はあるものなのです。子供好きが見れば嫌な感情がわくかもしれませんが、「煩い、臭い、汚い」等と感じる人もいます。
ただ、好みの差は個人個人で違って当然なので、真に大人で物事を広く許容するのであれば好き嫌いの押し付けをせず、双方の嗜好を認めるのが重要です。子供好きな人が子供嫌いな人に対して「どうして?かわいいのに」と押し付けず、嫌いな人も「子供が好きだなんて信じられない」なんて子供好きを否定しない事。
あなたは子供が好きだけど、私は嫌い。
私は子供が好きだけど、あなたは嫌いなんだね。
それだけで良くないですか?
好きな芸能人も違えば、好きな顔立ちも違うし趣味も何もかも違うものです。
部分部分の一致があったとしても自分以外は「自分ではない別の人」なのでどこかしら、違いがあり好き嫌いが違うのなんて当たり前。むしろ全く同じものが好きで同じものが嫌い、なんていう場合のほうが極少数です。
この記事を読んだあなたが子供好きなのか、嫌いなのか。
どちらにしても好き嫌いは善悪でも正解不正解でもありません。
個人差を許容できる事こそが大人であり、精神的に成熟していると言えます。
sonoutikokoni