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あいつ、本当に仕事ができないんだよな…なんて陰口を叩かれる。
営業などであれば、その成績で一目瞭然に結果が見えてしまう…
学校の成績だろうがちょっとした、運動会のようなものだろうが。
成績の良し悪しや結果の上下は必ず、出てきてしまいます。
社内で上司や周りから「仕事ができない人」として見られるのは社内で孤独になりがちですし、精神衛生上もかなり良くありません。会社に行くのが心から辛くなる場合も多いです。
しかも、そのように思い悩む人は真面目で良い人です。
怠ける気満々で仕事に力を入れていないのがワザとであれば、悩みません。
怠けていてヤル気が無いのですから仕事ができなくて当たり前。
この場合は「仕事ができない人」ではなく「仕事をしない人」です。
自分自身では仕事を頑張っているし努力もしている。けれども結果が伴わないし、周りからの目も仕事ができない人として視線を受けてしまう。結果として上司から気に入られるわけでも無ければ、会社の役職上で同僚であってもどこか見下された扱いをされます。
仕事ができないのはわざとではなく、何かが足りていない場合がほとんどなのです。
デキる人とできない人。
ここに人格や性格は関係がありません。
どんだけ性悪であっても、仕事がデキる人はデキます。
とても善人であっても、仕事ができない人はできません。
自分では頑張っているし、努力もしている。
日々、結果を出そうと工夫もしているし真面目に働いている。
けれど、結果が伴わない。
会社は結果と数字が全て、というところがほとんどなので「あの人は努力をしているけど結果が出ないだけだから鷹揚に見てあげよう」なんて事にはなりません。残酷に給与という形で差を付けられたり、他者との扱いが違ってきたりします。
仕事の結果というのに努力は必要です。
努力をしても、残業代が出ない中で残って仕事をしても結果とは関係がありません。
仕事ができない人には特徴があり、それが主な原因なのです。
これは「会社のせい」とか「上司や同僚のせい」という意味ではありません。
仕事がデキない状態は居心地が悪いもの。
雇われ、働いている中で仕事ができないと見られるのは苦しいです。苦しい状態に好き好んでなる人はいないので、わざと仕事ができないわけではないはずです。だからこそ、あなたのせいではないとしました。
では、何が悪いのか?
端的な書き方ですが、仕事の出来栄えはこういったところで変わります。
ここを強く持っていると、真面目にしようが努力を重ねようが結果がとても出難いです。
では、1つ1つを見ていきましょう。
要領の良し悪しは段取りの組み方や、物事への取り組み方に出てきます。
段取りが良ければ、短時間での仕事が可能となります。例えば1日に10の仕事をこなさないとならない場合。どのように進めれば効率が良く、短時間で片付けて行けるかの順序立て。そして取り組みが上手ければ10しか出来ないところを12、片付けられたりするものです。
また、無駄な残業をしないで済み体力や気力の温存も可能になりますね。
真面目に取り組んでいても、ここの組み立てが下手。つまり要領が悪いと時間が余計にかかってしまいます。1日にABCDEの5箇所を巡る必要があれば、順番立てて「A>B>C>D>E」と進むか、帰りの事を考えて「E>D>C>B>A」と回るか。こうすれば最短ルートで全てに行けます。
しかしこれが「A>D>B>E>C」なんて順に回ったらどうですか?随所に遠回りがあるのは解ると思います。簡単にルートで示しましたが、仕事を片付ける順番も似たようなもの。ここでは解りやすくABCDEとしましたが、実際にはバラバラにあるものに順序を付けないとならないのです。
ここが上手な人は要領の良い人。
逆に悪い人は要領が悪いので、真面目にしていても仕事のスピードが遅いです。
何かのデータを纏めるにしても、利用するにしても器用さは必要です。
同じ手順を教えられても器用に卒なくこなせる人と、なかなかこなせない人が居る。
手先の器用さと同様に、元々持った部分も作用しているかもしれません。卒なくこなせるからすれば、できない人が何故できないのかが解りませんし、逆もそうでしょう。教えられた事、すべき事を難なくこなせるのは器用さも必要なのです。
ただ、器用貧乏という言葉もある通り便利に使われ広く浅く早くこなせるけれど、なかなかそこから抜けられない場合もあります。利点とするか欠点となるかは要領の良さや世渡り上手さも関わってくるでしょう。
時として、ゴマを擦るかのような行いも必要です。
会社と言うところへ所属をすれば、上下関係もあり雇われる側と雇う側で既に立ち居地が異なっているので上手く人間関係を渡らなければなりません。上司や周りに好かれるような行いや、良く見せる事に長けていれば味方が増えます。
嘘も方便、時に上手に嘘で乗り切ってでも自分を良く見せる。
そんなズルさも必要なのですが正直で真面目な人はそれを良しとできず、正直な立ち回りをしてしまいます。営業で話を決める場合にも場合によってある程度の嘘や誇大表現もしないとならないですがそれができません。
こここそが、最重要部分と言えるかもしれません。
高学歴者の多くは会社から重宝され出世もしやすいですが、それは頭の回転が早い人が多いため。
高学歴者とは、学問的に頭が良いから優れているわけではなく、様々な事を知りそれを知るまでの工程で知識の吸収の早さや応用力に長けているのです。
頭の回転の良さとは脳の使い方が上手く情報処理能力が高い、という事。
頭の回転が遅ければ、情報処理能力は遅く吸収にも時間がかかってしまいます。
1つの知識に対しての応用も利かず、視点の切り替えも苦手な傾向にあります。
これは肉体に例えるなら筋力のある状態であり、筋肉を付けるには筋トレが必要です。脳もそれと同様、鍛えないと脳の使い方そのものが上手ではなく頭が固くなったり固執してしまったりしてしまいます。
高学歴者の場合、今までの学問やその学を得る為にしてきた行動から、1を知って10を知るというような発想力も高くなりがち。学を得る為にしてきた行動そのものが脳のトレーニングとなっています。だから頭の回転が早い人が高学歴者に多いのです。
中~低学歴者の方全てが、頭の回転が遅いとは言いません。
ですが、頭がキレるタイプで単純労働者はまず、居ないです。また、いつまでも平社員で居る事も少ないです。年功序列制度が崩れ去った今、真面目にしているだけでは「仕事ができない人」とされてしまいます。
会話能力やコミュニケーション能力も仕事に大きく関わります。
組織に居る以上、絶対に誰かと関わりますし顧客やクライアントが居るような職種であれば尚の事、コミュニケーション力は重要です。営業職であれば、それの最たるもの。高いコミュニケーション力と巧みな話術、そして時に付くべき嘘や何を言って何を言わないべきかの使い分けで仕事を決めるのが営業職ですからね。
社内であっても人を纏めたり、上司に気に入られるには高いコミュニケーション力は大切です。何か意見があっても、それが上手に話せなければ印象は悪くなりますし、伝わりません。ちょっとした飲み会の席でも、会話が下手だと盛り上がりに欠け円滑な人間関係が得にくくなります。
職場に於いて、気が強過ぎるのも問題です。会社は雇った人には服従とまでは言い過ぎであっても、気が強く方針ややり方にたてつく人を気に入りません。
けれども、気が弱過ぎても良い仕事ができないのもまた、事実。
様々な要因から仕事ができないとされている中で気が弱ければ、面倒な雑用ばかりを押し付けられたり低賃金で使い倒したりもしやすいです。低待遇でも文句を言いませんから都合の良い人扱いをされ、都合の良い人は「便利なんだけど仕事のできはイマイチ」というポジションを勝手に植えつけられます。
断るべきところは断り、意見するときは的確にそれを伝える。
ある程度、気は強く持つ必要があります。
社内と言う枠組みの中、便利な人というポジショニングをされてはなりません。
真面目にしていても結果が出ない、出せない。
その場合はこういったマイナス要素が多く関係しています。
ですから「結果を出せない人が悪い」というよりは、それらを総合的に上手く持てなかっただけなのです。それらを得られる場面や環境さえあれば、人は学び成長する動物なのでデキる人の仲間入りも可能となります。
人間のデキって元もとの作りはさほど、大差が無いのですがどんな道を歩んできたかで大きく変わります。生まれ持った性格も関与しているものの、それよりは後天的なもので培った部分が強いので、仕事ができない人が大化けする可能性もあります。
今現在のできが良くないな、と思う人も落胆する必要はありません。
今現在のデキが良く人より長けていると感じている人も油断はできません。