


自分に価値を見出せない

リストラされた人は自分自身が悪いのか?

日本は比較的、謙虚であることや謙遜をする事が美徳とされている面があります。海外だと身内を他人に対しても大っぴらに褒めたり自慢しますが、日本だと「うちの妻なんて…」「愚息が…」という会話になりやすいもの。
そんな国民性であるからなのか、自分自身の事もダメと思ったり、言ってしまったりしがちです。別に体裁上、そう言っているだけで心からそう、思っているのでないのなら問題は全くありません。自分自慢や自信満々だと、普通に日常生活や仕事をする場合、円滑な人間関係の邪魔になる場合もありますからね。
問題なのは心底「自分はダメな人である」と思っている場合です。
この記事の目次
何を持ってダメとするかにもよりますが、社会人であれば仕事上で出世ができないとか会社内での位置から感じる事が多いでしょう。家族からの扱いもあるかもしれません。「稼ぎが悪い旦那!」「家事もロクにできないのか!」などの言葉をもらう事もあるでしょう。また、学生であれば成績や学校内での待遇もそれを感じる原因になります。
これらが本当にダメなのかどうか。
まずはここを考えないとなりません。
出世ができない、給料が上がらない。
社内での扱いもイマイチだし、待遇も良くない。
周りからも「仕事が出来ないヤツに見られてしまっている…
働き先がブラック企業である、というのも自分がダメな人と思いやすいです。
これは実際問題として、現代社会に於いてはダメな人と考えても間違いではありません。残酷な意見ですが資本主義の中で生きている以上、どうしてもモノをいうのはお金である。そういう側面は否めないからです。
出世すれば基本的には賃金が上がります。
社内での扱いも上に立つ者に無礼な態度はしません。
仕事が出来ないヤツだ、なんて言わせませんし言ったら文句も言えるでしょう。
だからこそ、働き先がブラックであれば「こんなところでしか働けないし、こういう場が自分には妥当である」と心底、感じてしまうのです。
「うちの旦那の稼ぎが悪くて…」
「うちの嫁は家事も育児もイマイチなんだよな…」
なんて言葉はちょいちょい、聞くものです。冒頭でも書いた通り、身内を褒めない姿勢を良しとする国民性も手伝っているのは事実ですが案外、本気で思ったり思われたりしている場合もあるもの。
ここでは思われていて悩む、という方向性で話を進めますが身内から良く思われないのも辛いですよね。一緒に暮らしていれば毎日毎日、嫌味や愚痴を言われたり嫌な気配を感じたり。自己嫌悪からどんどん、自分はダメだと思うようになってしまいます。
夫であれば高給取りで家の事もある程度してくれる。
妻であれば家の事は完璧にこなし、子供が居れば教育もシッカリしている。
それが理想像であり出来る人の条件なのですが、ここに不器用な面があったり数字的に良くないと家族からチクチクと刺さるものがある事もあります。つまり、これらが備わっていないのなら、家族内であってもダメな人という扱いになってしまう事がある。…残酷ですね。
学校も義務教育が9年間。
その後の高校大学…となればさらに数年通います。
ここが円滑で楽しく成績も優秀であるのか、はたまたイジメに遭っているとか成績がどうしても良くならないとかであれば自分はダメなんだと思い始めるでしょう。
ここは筆者もイジメを受けました。その後、イジメられないようにするには何をすればいいのかを考え行動した結果、脱しましたがダメな人だから、というより人間も所詮は動物だから起きる現象とも言えます。
単純に分けて種類は2つ。
弱い個体は群れで襲ったり、仲間外れにしたりする。
つまり、何かで劣るところがあった場合に起きるパターンです。
また、人間は社会性を持つ動物なので、そこには妬みや僻みがある。
そこを潰したいがゆえに皆で攻撃をしてしまう場合に起きるパターンです。
前者ならダメな要因が強く、後者なら根底に「こいつは今のうちに潰しておこう」という競争心の表れでもあり、優れているのにも関わらず、気が優しい人は潰されてしまうという図。筆者は前者だったと感じますが、どちらもしても良い体験ではなく、できればイジメなんて受けないほうが良いに決まっています。
世の中の風潮として「イジメられる側にも原因があるんだ」なんて言いますが、原因があっても危害を加えて良い事にはならないので「イジメをする側がほぼ、100%悪い」が結論ですよ。
だから自分がダメだからこういう目に遭うなんて思う必要はありません。
…ちなみにほぼ、100%としたのは本当にイジメられても致し方ない理由がある場合も僅かながらにあるからです。それは「イジメていた人が反撃され、イジメられる側になった場合」。これは自分で理由を振りまいてしまったので因果応報なだけですからね。
ここまで上げてきた内容は、現代社会では確かにダメな人なのです。
それは残念ですが認めざるを得ません。
しかし、現代社会に於いてダメとされるだけであり、実際に人間としてダメかどうかは別問題。そもそも実際に心底ダメな人なんて居ないと言えば居ません。逆に言えば人間、全て何かしらダメな部分なんて持っているもので完全にダメな部分が一切、ありません!なんて人は居ないのです。
完璧に見える人であっても、隅々まで知り尽くせば絶対に何かしらダメな部分はありますし、思いもよらぬ欠点を持っていたりするもの。それが露見しやすいダメ部分なのか、社会生活上で出てしまうダメ部分なのか。それだけの差であると言う言い方も可能なわけです。
自分自信をダメだと強く思う事はあなたにとって、とても損である。
それを知る必要があります。
言霊だとか思いは現実になるだとかを書くとやや、アチラ系の気持ち悪さを感じる方も居るかもしれませんし、別にこういった事を押したいわけでもないです。損である、というのは説明が可能の事なので変に見えない力が…とかの話にはなりませんのでそこはご安心を。
強く思うというのは考えている以上に行動や、その人の気配に出ます。明るい性格の人が明るく見える。自分自身に自信がある人は堂々として見える。これは日々の行動や選択にも現れます。
ダメだダメだと思えば、日々の行動や選択もダメになっていきやすいのは紛れもない事実であり、これが言霊だとか思いは現実になるだとかの正体。思考が行動を決める面があるからダメだと思っては損なのです。
自信満々に振る舞え!というわけではありません。
自分自身を必要以上にダメだと思ってはいけません、という事です。
自分自身をダメだと思い続けての行き方はどこか、精彩さを欠きますので結果として冴えない結果ばかりになりがち。冴えない結果が積もればさらに自分はダメだからこうなんだ…と進みどんどんマイナスの連鎖になります。
自分自身をダメだと思わない!
これに尽きますが簡単ではありませんよね。ですから隙間時間にでも「自分の良いところ」も考えてみてください。ダメなところが無い人間も居ませんが、良いところが1つも無い人間も居ないもの。ダメだダメだと思っても、どこかで良いところがあります。
人に優しいとか、この分野には詳しいだとか。
自転車の運転が上手だなんて事でも構いません。
金魚の飼育が上手!なんて事でも良いですし、春は曙…を暗記しているとか。
最初はどんなに些細な事でも良いので良いところ、優れているところを見てください。
家のトイレは常に綺麗だ、掃除が好きである、節約術がすごいんです、ブラインドタッチができます、ワードやエクセルが得意、肌はスベスベ、古傷で天気予報ができます、この科目だけは得意、この料理だけは上手、茶に詳しい、コーヒーの味の差がわかる…
どんなものでも構いません。
最初は自分を卑下する癖を直す事。
自分自身を悪く思うの非常に癖になりやすいので改善する必要があります。
自分自身を心底、悪く思うのは損。
それを強く意識し、良い部分に焦点を当ててください。